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スフレを穴だけ残して食べる方法

レイ・モンク、ギルバート・ライルの暗黒面について

児玉聡さんの「オックスフォード哲学者奇行」を読むのはじつに楽しい。

これは、オックスフォード大学にゆかりのある哲学者にまつわるエピソードを紹介する連載記事で、分析系の哲学者のあいだでも話題になることがある。

連載で最初に取り上げられる人物はギルバート・ライルである。

そこで浮かび上がるライルの人物像は偉大なものだ。

彼は大学教育の改革者であり、分析哲学の一つの拠点としてのオックスフォード大学の礎を築いた人物であった、と。

今回紹介する記事は対照的に、ライルの暗黒面を伝えるものとなっている。

執筆者は、ヴィトゲンシュタインラッセルの伝記で知られるレイ・モンクである。

記事のタイトルとリード文を訳してみよう。

RGコリングウッドの早すぎる死がいかにして哲学の流れを永遠に変えたか

この折衷主義的で探求心あふれる男が全盛期に亡くなったことで、より偏狭で横柄なギルバート・ライルがイギリス哲学を支配することになった。もしコリングウッドが生きていたら、大陸思想との深く有害な分断は避けられただろうか?

なんとも刺激的なうたい文句である。

もちろん、記事の主役はコリングウッドであり、私は彼について調べている最中にこの記事を見つけた(上記ツイートの肖像はライルではなくコリングウッドである)。

「オックスフォード哲学者奇行」(第3回)でも指摘されるとおり、コリングウッドはライルの前任者だ。

モンクはコリングウッドの思想を高く評価する一方、ライルに対して批判的なのだが、批判の矛先は彼の政治的側面である。

ここではその概要を紹介しよう。

周知のとおり、二十世紀以降の哲学は大陸系と分析系の二つの学派に分断されている。

ライルがコリングウッドの跡を継いだのち、彼は自身の理想像のもとにイギリス哲学を書き換え、さらには二つの学派の分断を十二分に深めた、とモンクは指摘する。

第二次世界大戦以前、ライルは大陸の思想家に好意的であった。

彼はフッサールの仕事を説明したり、ハイデガーの『存在と時間』の書評を書いたり、オックスフォードではボルツァーノ、ブレンターノ、フッサール、マイノングに関する講義を行ったりしていた。

反論を加える場合でも、そこには敬意が払われていた。

ところが戦後、大陸思想に対する彼の態度は変化し、「反論は敵意へと硬化し、敬意を払う代わりに嘲笑を浴びせるようになった」という。

象徴的なのは、1958年、フランスのロワイヨモンで開かれた会議である。

これは(フランスの現象学者を中心とした)大陸哲学者とオックスフォードの哲学者をつなぎ、両派の溝を埋めようとする試みであった。

ライルはそこで「現象学対『心の概念』」という論文を発表した(『心の概念』は彼の主著だ)。

「対(versus)」という表現は、彼の好戦的なムードを表している。

この論文において、ライルはイギリスの分析哲学者が大陸哲学者に対して優位であると自身の考えを述べ、フッサール現象学を攻撃した(「フッサールはあたかも科学者に会ったことがないかのように書いた——あるいはジョークを書いた」)。

ライルの口ぶりは辛辣で、イギリスの哲学者は「「どの哲学者が総統になるべきか」という問題で頭を悩ませたことはない」とも述べている。

イギリスの哲学者は、ドイツの哲学者とは違い、リーダーシップよりも論理を信頼しているのだと彼は考えていたようである(「少なくとも、今世紀における私たちの哲学的思考の主軸は、私たちの論理学理論の大規模な発展について学んだ者だけが完全に理解できる」)。

いずれにせよ、ナチス政権の記憶が未だに生々しい時代に、「総統(Führer)」という表現を用いるのはきわめて粗野な行いであるとモンクは咎めている。

しかし、ライルの対外強硬主義は一人の学者の個人的見解に留まらなかった。

彼は(コリングウッドの跡を継いで)ウェインフリート形而上学教授という、イギリス哲学界において非常に大きな権威をもつポストに就いた。

そして、モンクによれば、彼は自身の理想像を実現させるために、その権威を利用して政治的な働きかけを積極的に行っていた。

たとえば、ライルは哲学誌『マインド』の編集者を二十年以上も務め、イギリスの哲学者がどのようなテーマをどのように論じるべきかについて強い影響力をもち、ときには口出しすることもあったという。

さらに、オックスフォードで哲学のリーダーとして認められていた彼は、戦後急増した大学の人事にも個人的影響を与えることができた。

そうして、イギリスの大学の哲学科には、ジョナサン・リーが「ライルの副官」と呼ぶ者たちが数多く配属されたという。

副官たちは、イギリスの哲学者は過去や他国の哲学者とは一線を画した、よりすぐれた方法で哲学を行っているというライルの感覚を普及させることに貢献した。

分析系と大陸系の分断がライルによって十二分に深められたとモンクが主張するのは、こうした次第である。

なお、モンクはライルについて書いた節に「大元帥(The Generalissimo)」という題を与えている。

これはマイケル・ダメットがライルを「オックスフォード哲学の大元帥」と呼んだのに因んだもので、「総統」に対するモンクの素敵な意趣返しとなっている。

 

ここではモンクの記事からライルの暗黒面に関わる部分を紹介したが、モンクの主題はコリングウッドであり、この哲学者の思想を楽しい伝記的エピソードとともに案内している。

八歳のコリングウッドがカントの『道徳形而上学の基礎づけ』を読んだエピソードは、かなり印象的なものの一つだ。

関心のある方はぜひそちらもチェックしていただきたい。

(ついでに、情動表出他者理解に関する『芸術の原理』の一節を紹介した当ブログの記事も。)

 

「写真を介した情動」あとがき解説

『ニューQ』(Issue03 名付けようのない戦い号)に「写真を介した情動」という記事を寄稿しました。

「写真で何かをつたえるとは何か?」という企画を構成するものの一つで、特集では、拙稿のほか写真家山本華さんの論考と写真が掲載されています。

企画の進行中は、山本さんと写真についてお話する機会が設けられるなどして、とても楽しく有意義な執筆経験となりました。

「写真を介した情動」の構成は以下になります。

  1. 被写体の情動
  2. 写真家の情動
  3. セルフポートレート

私たちは何かを介して情動を認識します。

その「何か」の典型例は表情ですが、写真もその一例となるでしょう。

現に、私たちは家族写真や芸術写真のうちに何者かの情動を認識するものです。

そして、その「何者か」の自然な候補は被写体と写真家であり、被写体と写真家が同一人物であるケースは一般にセルフポートレートと呼ばれます。

では、写真を介したとき、情動はどのようにして現れるのか、これが拙稿の問いです。

考察の出発点は、写真を介した情動の世界一有名であろう事例、アインシュタインの舌出し写真です。

これは表情の記録の事例です。

情動は表情を介して現れ、写真は表情を記録できるので、情動は写真を介して現れる、これは些末な事実の指摘にすぎません。

写真を介して情動が現れるより興味深い方法はないか、これを探求していく内容となります(探求を通して、アインシュタイン事例には表情の記録よりも興味深い問題があることがわかります)。

記事を書くにあたって、私は二つの方法論的制約を自分に課しました。

  1. 分析美学の議論のみ参照する。
  2. 加工写真や前衛写真の技法を扱わず、ストレート写真を範例とする。

第一の制約は、単純に私の能力と紙面の限界を考慮したものです。

写真論の蓄積には日本語文献だけでもかなりのものがありますが、私は分析美学以外の分野に疎く、かぎられた紙面で私にできる最大の貢献は(焦点をぼかすことなく)分析美学の視点を示すことだろう、と判断しました。

第二の制約は、私の過去の執筆に関係してくるものです。

私が過去に取り上げてきた写真の事例の多くは実験的な現代アート作品でした。

これは写真実践の重要な所産ですが、典型的な所産ではありません。

私たちの写真概念はストレート写真を写真の範例に据えるはずです。

そこで、私は〈記録としての写真〉という考え方と強靭に結びつくストレート写真にも当てはまる興味深い事実を見つけ出すことを試みました。

そうして、私は足元に転がっているごく素朴な事実に改めて目を向け、芸術形式として写真がもつポテンシャルを整理することができました。

美術鑑賞を趣味とする者がときおり口にする言葉として、「写真の見方がわからない」というものがあります。

写真が世界の忠実な記録、透明な窓でなければ、それは何なのか。

これを理解することは写真の見方を理解することにつながるかもしれません。

拙稿が少しでもその役に立つことができれば幸いです。

同企画の山本さんの論考では、鑑賞者から写真家に視点が切り替わり、実践を通して、写真撮影が写真家にもたらすものが議論の焦点となっています。

それは自分の情動を伝えることを超えて、写真撮影が自己変容と自己発見の手段となることを示しています。

ヘーゲルは、行為者が自分自身を知るのはその行為においてであると考えていました。

では、写真家が写真を、セルフポートレートを撮るとき、自分について何を知ることができるでしょうか。

これはあきらかに哲学的な問題です。

図版について

拙稿に戻りましょう。

私はさまざまな作品を取り上げましたが、図版は一つもありません。

ウェブ検索で作品を調べるのは面倒だし、見つけるのが難しいものもあるので、ここで確認できるようにしました。

読書のおともにどうぞ。

 

デレク・マトラバーズ、作者の意図とその報告について

最近、芸術実践における作者の意図の役割がまたもや話題になっている。

そのきっかけはさておき、私は人々の意図理解が気になっている。

とりわけ、自分の意図に関する作者の報告の受け止め方に関して。

ある人が作品の意味は作者の意図が決定すると言ったとしよう。

作品の意味を特定することが鑑賞/批評のやりがいのあるプロセスだとして、この人の意見は魅力に乏しく聞こえるかもしれない。

作品の意味を突き止めたいとき、私たちはただ作者に尋ねればよいと言うのか。

そんなことして、何が楽しいのか。

ここで待ったがかかる。

芸術家は自分の意図に関して不正直かもしれないし、そもそも何も言おうとしないかもしれない(あるいは文字どおりの意味ですでに死んでいるかもしれない)。

作者に聞けば万事解決などということはない。

これは的確な議論である。

しかし、ここで問題にしたいのは、作者の意図とその正直な報告の関係である。

はたして、この二つはぴったり重なりあうものなのか。

私はそうではないと考える。

デレク・マトラバーズも同意見のようだ。

この記事では、以下の著作におけるマトラバーズの作者の意図とその報告の関係を扱う短い議論を訳出して紹介しよう。

まずは本書『芸術哲学への招待:八つのケーススタディを通して』について。

副題にあるとおり、この本の特徴はケーススタディを通して(分析)美学の議論を学ぶことができる点である。

そのおかげで、抽象的な分析美学の議論がどのように個別の作品の理解に貢献するかが明確になっている。

八つの章の主題となる事例はすべて現代アート作品であり、ステッカー本(『分析美学入門』)とはまた違ったかたちで分析美学に入門できる一冊だ。

正直に言えば、私は関心に応じて四つの章しか読んでいないが、その一つは「意図」と題されている(五章)。

主題はルイーズ・ブルジョワ『ママン』(六本木でも見られる巨大なクモの彫刻)であり、ステッカー本でもおなじみの現実/仮説/反意図主義を検討する議論が含まれている。

そこで、マトラバーズは作者の意図を特定するうえで、作者の(正直な)報告は特権的地位をもつわけではないと注意を促している。

私が紹介したいのはその議論だ。

結局のところ、作者が私たちに伝えるものは、自分が何をしていたかについての作者の見解にすぎない。もし、作品がそこで述べられた意図の産物ではなく、別の意図の産物であるようにみえる状況にあるならば、それが示唆するのは、自分の意図についての作者の見解が間違っている、ということだ。つまり、自分の意図についての作者の発言は作者の意図に至るための一つのガイドではあるが、作品のうちにあるものもまた一つのガイドであり、さらに、それは外的知識〔ここでは作者の発言〕から得られるものよりも信頼性が高いものでありうるガイドなのである。
 これは一見、信じがたいことかもしれない。自分の意図については、自分自身が一番の権威ではないか。たとえば、ブルジョワはたしかに自分が何をしているか知っていたはずであり、ゆえに、自分の意図に関する彼女の発言は、彼女が何をしていたかについての私たちの「最善の推測」を裏づける〔作品そのものと並ぶ〕もう一つの証拠として受け止めるべきではないか。多くの状況において、私たちは自分の意図について最高の権威をもつとはいえ、そうではないごく普通の状況もある。ある人は、本当の意図が私欲に支配されていることが誰の目にも明らかであるにもかかわらず、他人の利益を最優先に行為していると純粋に信じているかもしれない。しかし、日常生活の限界事例に訴える必要はない。芸術制作はそれ自体、自分が何をしているかについて芸術家が明確なアイデアをもつ可能性が低い特別なケースなのだ。芸術家は芸術制作を行う前から明確なアイデアをもっており、彼/彼女の課題はただそのアイデアを伝える手段となる何かを制作することだとする芸術の単純な伝達説は、芸術的努力の一般的説明として説得的ではない。もちろん、うまく当てはまるケースもあるにはある。しかし、より典型的なケースでは、芸術家は自分のやりたいことについて漠然とした見解しかもたず、その見解をより具体的にするためにメディウムを用いて作業する。芸術制作のプロセスは神秘に包まれているが、意識的であれ無意識的であれ、心のあらゆる部分を活用して行われる。このようなケースでは、自分が何をしていたかについての芸術家の意識的な認定よりも、制作されたものの方が信頼できる意図のガイドであると見なす理由がある。

(p. 98)

自分の意図に関する作者の報告は無視してよいものではないが、絶対的に正しいという意味で特権的地位をもつわけでもない。

それはあくまでも判断材料の一つに留まるのだ(芸術形式や意図の種類などに応じて、その信頼性は変化するだろう)。

結局のところ、私たちの究極的な拠りどころは作品そのものにほかならない。

作者の意図を特定しようとする試みがうまくいけば、私たちは作者の心の声を復元することができるかもしれない。

しかし、私たちはさらに、作者が言語化できていない(もしかすると、意識に上らせることもなかった)何かを浮かび上がらせることもできるかもしれない。

これは作者の意図の特定という営みをスリリングなものにしている一つの理由である。

 

ニック・リグル、アンリ・マティスについて

分析美学が批評の執筆に役立つかはさておき、分析美学者は少なからず多からず批評に取り組む。

美的価値やストリート・アートの研究で知られるニック・リグルはその一人だ。

今回はリグルがアンリ・マティスについて書いた一節を訳出した。

国立新美術館にて来月開催予定だった「マティス 自由なフォルム」展は残念なことに来年以降に延期されたが、リグルが扱うのはこの展覧会と同じく、マティスが晩年制作した切り紙絵である。

マティスの切り紙絵に込められた意味を探求するなかで、リグルの議論は変容的経験、また自己と身体、環境、芸術との関係に関しても示唆に富んだ内容となっている。

なお、リグルのマティス論は独立した作品ではなく、現代の画家エヴァ・ストラブルの作品を論じた文章のほんの一節にすぎない。

リグルはマティスと対照するかたちで、ストラブルの作品の特徴を浮かび上がらせようとしているのだ。

文章の全体は上記リンクにあるので、文脈を補いたい方はもちろん、気になる方はぜひ参照してほしい(ストラブルの作品を眺めるだけでも楽しい)。

訳文について。

脚注は省き、強調を示す斜体は太字に、引用を示す斜体は引用ブロックに置き換えた。

原文に付されたリンクは訳文でも付しており、そこから本文で言及された作品の画像を見ることができる。

ニック・リグル、エヴァ・ストラブルについて(抄訳)

環境が変われば自分も変わり、自分が変われば環境も変わる。

アンリ・マティス(1869-1954)は晩年、72歳のとき、ほぼ確実に死に至る腹部癌であると診断された。根治手術を受けたことで、彼の寿命は14年延びたが、運動能力は著しく低下し、もはや絵を描くことはできなくなった。人によっては、長い人生の後に突然、自分の体になじむことができず、使命を追求することも叶わないような感覚に陥るよりは、死んだ方がましと思うだろう。マティスの場合、それは変容的な出来事であった。「恐ろしい手術は、私を完全に若返らせ、哲学者にしてくれた。私は完全に人生からの退場を覚悟していたため、自分が第二の人生を歩んでいるように思える」。新しい自己と新しい体を携えたその第二の人生において、彼はコラージュに着手した。アシスタントに手伝ってもらいながら、紙に絵具を塗り、それを切り取って並べることで、小さいものからほとんど記念碑的なものまで、抽象的なものから象徴的なもの、イメージをかきたてるものまで、多様な作品を制作した。マティスはこれらの作品を「グワッシュ・デクペ」(グワッシュは絵具の一種)と呼び、自分のキャリアの頂点と見なした。「言いたいことが言える段階に至るまで、これだけの時間が必要だった……病後に制作したものだけが、私の本当の自己、自由で、解放された自己を構成する」。

彼は何から解放されたのか?マティスの解放感には間違いなく、彼が50年間没頭してきた技術や伝統——彼の様式を定義し、彼がその創造に貢献し、そして20世紀の絵画の流れを決定づけたもの——からの解放が含まれていた。紙、絵具、ハサミを使うことで、マティスは新しい自己を構築し、描き、刻んだのである。

しかし、彼が解放されたという考えにはどこか不可解なところがある。この時期の最高傑作は、新しい技法を何年もかけて完成させた後、人生の最後に近い時期に制作されたものだ。1946年から47年にかけて、マティス『オセアニア 空』『オセアニア 海』という二つの作品を制作した。これら大きな長方形の作品は、均一なベージュの背景に白でさまざまな抽象的な図形の切り紙が等間隔に配置されており、サンゴや海藻、鳥、魚を連想させる。

これらはどこかの場所のイメージなのか?タイトルはこれを示唆しており、マティスは制作の際、タヒチ旅行の思い出からインスピレーションを受けていた。彼は次のように書いている。

リネンにプリントされたこのパネル[『オセアニア 海』]は、モチーフは白、背景はベージュで、二枚目のパネル[『オセアニア 空』]とともに一式の壁掛けを構成し、オセアニアへの船旅から15年後の回想に浸りながら制作したものである。

旅の最初から、現地の空とラグーン、水中の魚やサンゴの魅惑は、私を無為(inaction)の完全なる恍惚に放り込んだ。事物に固有の色調は変わりないが、太平洋の日差しに照らされたその効果は、かつて私が大きな黄金の聖杯を覗き込んだときと同じ感覚をもたらした。

私は目を大きく開いて、スポンジが液体を吸収するようにすべてを吸収した。そして、今になってようやく、これらの驚異は優しさと明確さをもって私のもとに返ってくれ、持続的な快をもって私に二枚のパネルを完成させてくれた。

マティスは自分が失った人生を追体験しようとしているのだろうか?もはやなることのできない自己を記憶と芸術のなかで具現化することのいったい何が解放的なのかと疑問に思う人もいるかもしれない。そうした視点からすると、二枚のパネルは永遠に失われた場所と自己の哀悼的なイメージである。では、彼はどのようにして新しい自己を発見したのか?そして、どのようにして解放されたのか?

実際には、これらのイメージは特定の場所のものではない。むしろ、マティスの解放的な芸術様式の染みこんだ、抽象化された場所である。これらの作品を通して、マティスは「無為」の記憶、つまり、現在の自分の体の状態を想起させながら、その無為が「完全なる恍惚」と「持続的な快」の源であった記憶を蘇らせた。この時期の他の作品も同様に、彼がもはや住むことのできない空間を再現する試みとなっており、そこでは不動性が、のどかさ、穏やかさ、静けさとともに支配している。『スイミング・プール』(1952年)は、波と水しぶきの大きな青い切り紙絵で、ニースにある彼のアパートのダイニングルーム全体を覆っていた。『インコと人魚』(1952年)は、彼が制作したもっとも大きな切り紙絵の一つで、彼にいつでも訪れることのできる庭を与えた。マティスは自分の新しい芸術を利用して、新しい自己のための空間を作り出し、新しい自己を定義しているのだ。いまでは、マティスは庭やプール、オセアニアに行くことで、彼を見つめかえす彼自身、新しい自己を見る。

マティスの死が近づくにつれ、彼のイメージはますます抽象的になっていった。たとえば、1953年に制作された、9×9インチの素晴らしい抽象的な切り紙絵『オセアニアの記憶』を見るといい。マティスが抽象化を進めていくことにはどのような意味があるのだろうか?その場所が具体的でなければないほど、彼は容易にスタジオやダイニングルームであたりを漂っていられ、その場所が永遠に失われたという事実が思い出されることもなくなる。マティスは、非常に個別的な場所の非常に個別的な記憶を追体験することと、芸術を通してその場所の個別性を剥ぎとり、そうして再びそこに行けるようにすることの両方を望んでいるようだ。その場所が抽象的であればあるほど、彼はそれを所有可能になる。

私たちが作り出す場所のイメージ、周囲の環境を理解する方法は、私たちの自己のイメージと共鳴している。もし、私たちの場所のイメージがその場所から遊離した紋切り型のものだとしたら、それは私たちについて何を語るのだろうか?

マティスとは反対のこと、すなわち、自分を土地から切り離すのではなく、ローカルなもの、個人的なもの、具体的なものを通して、自分を土地に浸すことで自分を解き放つことにはどのような意味があるのだろうか?

マティスは旅行できなかったため、個人的な意味を求めて、場所を抽象化した。一方、エヴァ・ストラブルは公的な意味を求めて、場所の個別性を作り出す。脱ローカライズされた場所をローカライズするには、解体し、引き算し、剥がすことで構築しなければならない。

言語と他者理解に関するコリングウッドの知られざる一節

Collingwood, R. G. 1938. The Principles of Art. Oxford University Press.

 

R・G・コリングウッド『芸術の原理』には言語と他者理解に関する深い洞察がある。

ここで印象的な一節を抜き出して紹介しよう。

(以前には情動表出に関する有名な一節を抜き出して紹介したことがある。)

コリングウッドによれば、「人はまず言語を獲得してから、それを使うのではない」。

むしろ、「使おうと繰り返し、漸進的に試みることで、われわれははじめて言語をもつことができるようになる」という。

ここに印象的な一節が続く。

読者は、ここで主張されていることが真実だとすると、聞き手にとっても、話し手にとっても、一方が他方を理解することに関して絶対的な保証は存在しえないことになるではないかと反論するかもしれない。これは正しい。しかし、実際のところ、そのような保証は存在しない。われわれがもつ唯一の保証は経験的かつ相対的な保証であり、これは会話が進むにつれ次第に強まり、またどちらの当事者も相手にとって意味のないこと(nonsense)を言っているようにはみえないという事実に基づいている。二人がお互いを理解しているかどうかという問いは、会話のなかで解決される(solvitur interloquendo)。会話を続けるのに十分なほどお互いを理解しているならば、二人は必要なだけお互いを理解している。そして、得られなかったことを後悔していいような、よりすぐれた種の理解は存在しない。(pp. 250-251)

一読して、ひどく腑に落ちる議論だと思った。

コリングウッドはこの議論を芸術鑑賞にも適用している。

なるほど、芸術作品を完全に理解したことを保証してくれるものなど見当たらないし、芸術作品を完全に理解するとはどういうことなのかも疑問だ。

ここで私は(文脈はやや異なるが)アレクサンダー・ネハマスの言葉を思い出す。

物事が「完全に理解される」のは、それについてもっと知りたいとは思わなくなったときだけです。理解が尽きるのは、対象が尽きるときではなく、が尽きるときなのです。

少なくとも自分自身が尽きるまで、われわれは幾度と作品に立ち返り、外的証拠を取り入れながら、少しずつ理解を高めていくという終わりなき道程を歩むに違いない。

 

さて、原文を掲載しておこう。

The reader may object that if what is here maintained were true there could never be any absolute assurance, either for the hearer or the speaker, that the one had understood the other. That is so; but in fact there is no such assurance. The only assurance we possess is an empirical and relative assurance, becoming progressively stronger as conversation proceeds, and based on the fact that neither party seems to the other to be talking nonsense. The question whether they understand each other solvitur interloquendo. If they understand each other well enough to go on talking, they understand each other as well as they need; and there is no better kind of understanding which they can regret not having attained. (pp. 250-251)

斜体となっている「solvitur interloquendo」はラテン語だが、ラテン語は習っていないため、ウェブ検索したところ、この一節を引用し、訳語も載せている文献を見つけた。

solvitur interloquendo [is settled in the talking]」とあるので、邦訳に反映している。

なお、検索の最中にちょっとおもしろいページも見つけた。

「THE GRICE CLUB」なるブログがあり、そこにこの一節が取り上げられていたのだ。

筆者は以下のようにコメントしている。

ジーニアス!彼が二十世紀イギリス哲学史の研究者から完全に無視されていることを思うと残念でならない。そして、彼は真のオクソニアン(Oxonian)でもあった。

 

最後に、翻訳書の該当部分も載せておこう(逐一指摘しないが、いろいろと問題含みの訳だと思う)。

読者は、ここで主張されていることが真実だとしますと、聞き手にとっても、話し手にとっても、一方の人が他方の人を理解したということの絶対的保証というものは決して存在し得ないと、論駁するかもしれません。実際にそのような保障がないとすれば、この論駁はその通りなのです。私たちが所有する唯一の保証なるものは、話が進行するにつれて次第に強くなるといった、どちら側も他方に無意味なことを語っているようには見えないという事実に基づいているという経験的、相対的な保証ということになります。彼らが相互に理解し合うかどうかという問題は〈問答によって解決せられる solvitur interloquendo〉のです。彼らが話しを続けることができるように、相互によく理解し合うということになりますと、彼らは、彼らが相互に必要とし合っているのと同じように、理解し合っているのです。そして彼らが成しとげなかったことが残念だと思える一層好ましい種類の理解といったものは、存在しないのです。(p. 275)

 

ティ・グエン「食文化のロールズ主義理論」

美学と社会認識論の研究で知られるティ・グエンは、ロサンゼルス・タイムズでフードライターをやっていた経歴をもつ。

そんなグエンが食文化について書いたエッセイがおもしろかったので、日本語に訳してみた。

このエッセイでは、グエンはジョン・ロールズの言葉を出発点に、食文化の質、そして食に対する愛を見極めるための方法を提案している。

以下、註を含めて上掲記事の日本語訳である。

なお、原文ではグエンが食べた軽食の(映えの意識をまるで感じさせない)写真を見ることができるが、そのキャプションは訳していない。

ティ・グエン「食文化のロールズ主義理論」

社会を判断するには、もっとも貧しい人々の状態に目を向けるべきだとジョン・ロールズが言ったことはよく知られている*1。上層部の人々がどれだけ裕福か、教育水準が高いかは重要ではない。最良の社会とは、最下層の人々が最良の待遇を受ける社会なのだ。

私は一つの帰結として「食文化のロールズ主義理論」を提案したい。食文化のロールズ主義理論によれば、食文化の質を判断したいとき、最高級のレストランや最高の料理を見てはいけない。低価格帯に目を向けよう。屋台やサービスエリアの軽食に、深夜2時の空港で手に入るものに目を向けよう。どんな地域でも、十分な資金を投じれば素敵な料理店を何軒か出すことはできる。食に対する本当の愛とこだわりを示すのはむしろ、手を抜いて済ませられるときでさえ、人々が美味しい料理を作っているときである。

私は人生の半分をロサンゼルスで過ごした。ロサンゼルスには素晴らしい食文化の小地区もあれば、世界有数のレストランもある。私はロサンゼルスのフードシーンを心の底から愛している。しかし、ロサンゼルスの大部分はロールズのフードテストに完全に落第している。私はここで主にサンタモニカやビバリーヒルズ、ハリウッドといった裕福な地域の話をしている。人々はそれで済ませられるときはいつでも、陳腐で、いい加減で、でたらめな料理を出していた。どこもかしこも手抜き料理ばかりだった。食に対する愛は骨の髄まで行き届いてはいなかったのだ*2

イスタンブールに行ったとき、あまりにも素晴らしい料理にあふれていたので、一つゲームをやってみた。ひどい料理を見つけることは本当にできるのか?結果を言えば、かろうじてできた。私が試したほとんどの料理は少なくともけっこう美味しかった。サービスエリアのペストリーは?最高だ。空港のコーヒーショップのバクラヴァは?アメリカで食べたものよりも良かった。派手な観光エリアにある屋台のケバブは?確かに、人々が怠けられる場所があるとすれば、そこではないだろうか?いや、そのケバブでさえ最低限のプライドをもって作られていて、なかなかの出来だった。アンソニー・ボーディンは、ニューヨークを転々としながらいい加減な手抜き料理で腹を満たす生活を送ったのち、初めて訪れたサイゴンで魂が引き裂かれそうになったと書いている。彼が食べた料理はどれも素晴らしく、料理を売る人は誰もがこだわりと気配り、繊細さをもって作っていた。

食文化のロールズ主義理論が私の「食の空港原理」とは異なることに注意したい。空港原理によれば、料理Xを真に得意とする地域の空港版Xは、その他多くの地域で手に入る最上級Xよりも十中八九美味しい。LA空港のフィッシュタコスは南カリフォルニアのローカルチェーンのほんの一部だが、ニューイングランドの最高のフィッシュタコスよりも美味しい。デトロイト空港のチリドッグは西海岸全域で食べたどのチリドッグよりも美味しい。シカゴ空港のシカゴ風深皿ピザはシカゴのベストには程遠いが、カリフォルニアで一番の試みをはるかに上回る出来で、私の心を躍らせる。

空港原理と食文化のロールズ主義理論は異なる事柄を問題にしている。空港原理は特定の料理を扱う専門技術がいかに深く複雑なものであるか、地域差にどれほどの開きがあるかを問題にしている。ある地域がある種の料理に対して高度に特化しているとき、それは他の地域よりも少しばかり優れているのではない。何光年も優れている。一方、食文化のロールズ主義理論が問題にしているのは愛であり、一部地域では食に対する愛が非常に深いため、人々は必要がなくとも素晴らしい料理を作るという事実である。ほとんど誰も見ていなくても、こだわって作るのだ。

*1:これは単純化したものである。捨ておけ、ロールズ研究者。

*2:一方、ロサンゼルスに点在する民族居住地の一部はロールズのフードテストに見事に合格している。これは「食文化」というものが特定の地理区分に住む全員に等しく適用されるわけではないことの証だ。

分析哲学批判の一つのパターンについて

分析哲学批判の一つのパターン

分析哲学批判には一つのパターンがある。

いくつか例を挙げてこれを示そう。

 

山口尚による分析哲学批判は、一言で言えば分析哲学のスポーツ性を問題にしている。

この「スポーツ性」なる性質は「「手を変え、品を変え」という迂遠なやり方で何とかアプローチしてみたい」という彼の言葉どおり、記事では定式化されていない。

気になる方はぜひ直接読んでいただきたいが、この記事でもいずれスポーツ性の内実に関する記述に触れることになる――思わぬかたちで。

「スポーツ」という表現の参照元はジョン・マーティン・フィッシャーの言葉である。

私はかつてハリー・フランクファートが述べた次の不満がよく分かる。それは、彼の事例をめぐる文献はいまや「若者のスポーツ」だ、という不満である。

分析哲学のスポーツ性に対する不満はフランクファート、フィッシャー、山口に共通のもののようだ。

さらに、山口の記事にも名前の出てくる青山拓央はその共鳴者の一人かもしれない。

 

飯田隆分析哲学 これからとこれまで』の書評において、青山はこんなことを言っている。

 本書でも紹介されているStanford Encyclopedia of Philosophy(インターネット上の有名な哲学百科事典)であるが、これはきわめて有用であるものの、自分の問いを見定める前にこれで「勉強」を始めてしまうと、自分が何を問いたかったのかを見失ってしまうことがある。本書の言う、肯定的な意味での「アマチュア」の問いが、すでに整理され格付けされた専門家の問いに取って代わられることで。

ここで示唆されるように、飯田にも青山のそれに似た問題意識があるようだ。

同書の第9章を締めくくる段落で、飯田は以下のように指摘している。

近年ますます専門化している哲学は、理論のうえに理論を作り上げ、先に先に行こうとしているようにみえます。 自らの設定したごく限られた専門のなかではそうした方法は、有効であり、また、ある意味でやむをえないのかもしれません。しかしながら、哲学というのは、それだけでなく、もっと全体的な展望を求めるものでもあると思います。

そして、専門化はしばしば産業化をともなう。

 

分析哲学を「現在における産業化された哲学の最たるもの」と呼ぶ千葉清史は、上掲の論文の第四節で以下のように警鐘を鳴らしている。

哲学が産業化され、(ちょうどデカルトがその典型例であったような)個人による徹底的な考察から、むしろアカデミックな世界における論文生産業へとその中心的な場所を移すにつれ、哲学における論争的傾向は現代においてはますます強まっている。この傾向においては、対立する立場の欠陥・問題点を示し、それに対する相対的優位を示すことで自説を正当化する、ということが基本戦略となる。もちろんこうした戦略そのものは何ら新しいものではなく、また全く正当なものである。しかしながら、こうした戦略が極端化されると、哲学のもつ「事象の解明」という側面が見失われることになる。

 

ダニエル・デネットの以下の痛烈な哲学批判も産業化が一つの論点となっている。

哲学の一部分野は自己満足に陥っており、真に興味深い問題に対処することのない、空白地帯での知的遊戯と化している。

「遊戯(プレイ)」という表現とは裏腹に、これは制度的圧力に起因するとデネットは考える。

そうこうするうちに、若い哲学者たちは出版しなければならないという大きな圧力にさらされ、巧妙なコメントや反論、復活を気軽に行うことのできるおもちゃのようなトピックを見つけてしまう。

 デネットの哲学批判は一時話題になっていたが、こんな反応もあった。

 

これらの論者による分析哲学批判は、安易に同一視してよいものではないが、おおむね重なり合って一つのパターンを形成していると言ってよい。

山口や青山の議論において顕著なように、このパターンには哲学の実存的側面、または〈自分の問い〉に対する尊重が含まれうる。

とはいえ、これは中核的な要素ではない。

事実、飯田や千葉、デネットの批判に実存に関する問題意識は見られない。

むしろ、このパターンに中心部に位置する問題意識はこんなものではないだろうか。

  • 事象の解明に対する論争の優越(縮めて〈論争ファースト〉)

(「事象の解明」と「論争」という表現は、この問題意識をもっともよく体現していると思われる千葉の論述から借りた。)

私自身は人文系クラスタにしばしば見られる〈言論に実存を賭けるべし〉という主張に抑圧的空気を感じており、実存の問題にはそれほどコミットしていない。

とはいえ、分析哲学にしばしば見られる論争ファーストの態度にはたしかに問題意識がある。

私の身の回りの分析系の人々はどれくらい共感してくれるだろうか。

実際のところ、論争ファーストをめぐっては、分析哲学業界の内部でも価値観の対立があるように見えるところがある。

 

分析系の魅力:マーシャルアーツ性

分析哲学について、スポーツの比喩とよく似た比喩がある。

上記の記事で、森功次はニック・ザングウィルの「分析哲学ってのはマーシャルアーツみたいなものだ」という言葉を引いて、このように述べる。

この喩えはけっこう秀逸だと思う。つまり、攻撃がこう来たら、こう防御する。防御できたら、こうやって反撃する。その応酬のやりとりをしっかり見ていくところに分析哲学の面白さがあるんだ、ということをザングウィルは言っていた。この種の面白さ、味わい深さは、勝ち負けだけ(つまり結論だけ)見ようとする人にとっては、あまり見えてこない部分だと思う。

興味深いことに、森は「分析美学は薄っぺらい」という批判に対して分析美学の魅力を示す文脈で「マーシャルアーツ」の比喩をもちだしている。

スポーツの比喩は否定的に、マーシャルアーツの比喩は肯定的に用いられるが、実質は変わらない。

森の記述を山口の言うスポーツ性に適用してもあながち間違いではないだろう。

そして、森はマーシャルアーツの比喩を用いて、分析哲学の議論の「価値」を専門外の人々に訴えるのだが、私が取り上げてきた分析哲学批判の論者の多くは分析哲学業界の内部に位置し、中心的でさえある。

これこそ価値観の対立を示すものではないか。

とはいえ、問題はそれほど単純ではない。

ここで論争の価値をめぐる是非と論争ファーストをめぐる是非を区別する必要がある。

千葉をはじめ、批判者たちは論争自体の価値を否定するわけではない。

論争することに楽しみを覚えないでいる哲学者を想像することは難しい。

論争が事象の解明のための素晴らしい手段となりうることを否定する哲学者を想像することもまた難しい。

論争が事象の解明、〈自分の問い〉や真に興味深い問題の探求といった事柄に優越するとき、批判者たちはそれを戒めるのである。

分析哲学のマーシャルアーツ性にその価値を見いだす森が論争ファーストを問題視する余地は十分にある。

論争に価値を見いだすことと論争ファーストに異議を唱えることは両立する。

 

分析系のもう一つの魅力

ここから少し私自身の話をしよう。

私は分析美学を専門としているが、学部二年までは分析美学という学問を知らず、まず哲学一般に関心がなかった。

美学・芸術学コースに所属していた私の関心は現代アートの批評理論であった。

文献を片っ端から読んではみたものの、読後感は二種類しかなかった。

「わかるようでわからない」か「わからない」だ。

ところが、学部二年のときに受講した西村清和先生の基礎演習で、私は『現代アートの哲学』、そして分析系の議論に出会い、芸術について理解が確実に深まっていくという喜ばしい感覚を味わった。

それから分析系に少しずつコミットしていくようになった。

ときには打ちのめされることもあった。

それでも、論証と明晰さを重視するという分析系の美徳は、現象に対する理解を確実に深めることにつながっており、これは芸術を主題とする理論研究の他の分野ではあまり重視されない事柄であるため、結局現在も私はこの分野にコミットしている。

思い出話に付き合っていただき恐縮だが、私が言いたいのは、分析系の魅力は必ずしもマーシャルアーツ性に由来しないということだ。

山口は『哲学トレーニングブック』のまえがきでこんなことを言っている。

哲学書はどれも、ありきたりな見方から離れ、新たな「これまでにない」見方を提供することを目指します。

この主張が本当に哲学書一般に適用可能かはともかく、これは私が理論書を読むうえでもっとも主要な理由である。

とはいえ、「これまでにない」見方を提供してくれる理論でも、サポートが貧弱なものでしかないならば、私はそれに魅力を感じない(どれくらいのサポートの強さを求めているのかという自己に関する難問はさておく)。

一方、論証と明晰さの重視という分析系の美徳は、「これまでにない」見方を提供するという試みに対して強力なサポートを与えることを促進する。

つまり、分析系の第二の魅力は、〈強力なサポートとともに「これまでにない」見方を提供する理論〉の生産を促進することにある。

しかし、論争ファースト、事象の解明に対する論争の優越という状況では、この第二の魅力は脅かされてしまう。

先の分析哲学批判の論者たちに私が共感する次第であり、千葉がイマヌエル・カントに帰属する一つの哲学的理念にとりわけ共感する次第である。

哲学は単に論争において自説を擁護するだけではなく、問題となっていることがらについての実質的洞察を与えるのでなければならない。

 

むすびにかえて

最後に、私が敬愛している哲学者の一人、ドミニク・ロペスの言葉を紹介しよう。

〈強力なサポートとともに「これまでにない」見方を提供する理論〉を盛んに構築してきた哲学者だ。

上掲のインタビューを締めくくるべく、ロペスは若い美学研究者に向けて以下のようにアドバイスを送っている。

現代美学の基礎は1960年代にあり、私たちが知るところの美学は1980年代に本格的に成長しはじめました。ですから、やるべきことは山ほどあります。トピックを見つけるのは難しくないと思いますが、問題はどうやって良いトピックを選ぶかということです。私からのアドバイスは〈新鮮でオリジナルなものをやろう〉ということです。あまりにも多くのことが語られているトピックは避けてください。ほとんど何も語られていないようなトピックは選びたくないでしょうが、美学には議論が過剰なくらいなされている分野があります。哲学的にやりがいのある、そして哲学的な深みを与えてくれるトピックを選んでください。美学がうまく行われたとき、最高の状態で行われたとき、それはまさに最高の哲学なのですから。

 

 

〈追記:20210825〉

児玉聡の「オックスフォード哲学者奇行」を読んでいたところ、マリー・ミジリーにも論争ファーストを戒めるような発言があることを知ったので、ここに追記しよう。

「問題なのは、多くの賢い若い男性に対して、議論に勝利することを競わせることによって生まれる、特定の哲学スタイルです。こうした若者たちは、単純な二項対立から一連のゲームを作り出し、最終的には他の誰もが何の話をしているのかわからなくなるまで洗練させてしまうのです。これは内輪のグループの外部からやってきた誰かが、全く別のトピックへと会話を移行させることにより最終的に爆発させるまで続きます。すると、そのゲームは忘れ去られるのです(……)。対照的に、戦時中のクラスでは、女性だけでなく男性(良心的兵役拒否者など)もいましたが、議論することに熱心ではなかったのです。明らかに我々はみな、お互いをやっつけることよりも、非常に不可解なこの世界を理解することに関心がありました。」