児玉聡さんの「オックスフォード哲学者奇行」を読むのはじつに楽しい。
これは、オックスフォード大学にゆかりのある哲学者にまつわるエピソードを紹介する連載記事で、分析系の哲学者のあいだでも話題になることがある。
連載で最初に取り上げられる人物はギルバート・ライルである。
そこで浮かび上がるライルの人物像は偉大なものだ。
彼は大学教育の改革者であり、分析哲学の一つの拠点としてのオックスフォード大学の礎を築いた人物であった、と。
今回紹介する記事は対照的に、ライルの暗黒面を伝えるものとなっている。
My latest Prospect piece, this time on the rather under-appreciated R. G. Collingwood. https://t.co/wlmXJfImGd via @prospect_uk
— Ray Monk (@Raymodraco) 2019年9月5日
執筆者は、ヴィトゲンシュタインやラッセルの伝記で知られるレイ・モンクである。
記事のタイトルとリード文を訳してみよう。
RGコリングウッドの早すぎる死がいかにして哲学の流れを永遠に変えたか
この折衷主義的で探求心あふれる男が全盛期に亡くなったことで、より偏狭で横柄なギルバート・ライルがイギリス哲学を支配することになった。もしコリングウッドが生きていたら、大陸思想との深く有害な分断は避けられただろうか?
なんとも刺激的なうたい文句である。
もちろん、記事の主役はコリングウッドであり、私は彼について調べている最中にこの記事を見つけた(上記ツイートの肖像はライルではなくコリングウッドである)。
「オックスフォード哲学者奇行」(第3回)でも指摘されるとおり、コリングウッドはライルの前任者だ。
モンクはコリングウッドの思想を高く評価する一方、ライルに対して批判的なのだが、批判の矛先は彼の政治的側面である。
ここではその概要を紹介しよう。
周知のとおり、二十世紀以降の哲学は大陸系と分析系の二つの学派に分断されている。
ライルがコリングウッドの跡を継いだのち、彼は自身の理想像のもとにイギリス哲学を書き換え、さらには二つの学派の分断を十二分に深めた、とモンクは指摘する。
第二次世界大戦以前、ライルは大陸の思想家に好意的であった。
彼はフッサールの仕事を説明したり、ハイデガーの『存在と時間』の書評を書いたり、オックスフォードではボルツァーノ、ブレンターノ、フッサール、マイノングに関する講義を行ったりしていた。
反論を加える場合でも、そこには敬意が払われていた。
ところが戦後、大陸思想に対する彼の態度は変化し、「反論は敵意へと硬化し、敬意を払う代わりに嘲笑を浴びせるようになった」という。
象徴的なのは、1958年、フランスのロワイヨモンで開かれた会議である。
これは(フランスの現象学者を中心とした)大陸哲学者とオックスフォードの哲学者をつなぎ、両派の溝を埋めようとする試みであった。
ライルはそこで「現象学対『心の概念』」という論文を発表した(『心の概念』は彼の主著だ)。
「対(versus)」という表現は、彼の好戦的なムードを表している。
この論文において、ライルはイギリスの分析哲学者が大陸哲学者に対して優位であると自身の考えを述べ、フッサールの現象学を攻撃した(「フッサールはあたかも科学者に会ったことがないかのように書いた——あるいはジョークを書いた」)。
ライルの口ぶりは辛辣で、イギリスの哲学者は「「どの哲学者が総統になるべきか」という問題で頭を悩ませたことはない」とも述べている。
イギリスの哲学者は、ドイツの哲学者とは違い、リーダーシップよりも論理を信頼しているのだと彼は考えていたようである(「少なくとも、今世紀における私たちの哲学的思考の主軸は、私たちの論理学理論の大規模な発展について学んだ者だけが完全に理解できる」)。
いずれにせよ、ナチス政権の記憶が未だに生々しい時代に、「総統(Führer)」という表現を用いるのはきわめて粗野な行いであるとモンクは咎めている。
しかし、ライルの対外強硬主義は一人の学者の個人的見解に留まらなかった。
彼は(コリングウッドの跡を継いで)ウェインフリート形而上学教授という、イギリス哲学界において非常に大きな権威をもつポストに就いた。
そして、モンクによれば、彼は自身の理想像を実現させるために、その権威を利用して政治的な働きかけを積極的に行っていた。
たとえば、ライルは哲学誌『マインド』の編集者を二十年以上も務め、イギリスの哲学者がどのようなテーマをどのように論じるべきかについて強い影響力をもち、ときには口出しすることもあったという。
さらに、オックスフォードで哲学のリーダーとして認められていた彼は、戦後急増した大学の人事にも個人的影響を与えることができた。
そうして、イギリスの大学の哲学科には、ジョナサン・リーが「ライルの副官」と呼ぶ者たちが数多く配属されたという。
副官たちは、イギリスの哲学者は過去や他国の哲学者とは一線を画した、よりすぐれた方法で哲学を行っているというライルの感覚を普及させることに貢献した。
分析系と大陸系の分断がライルによって十二分に深められたとモンクが主張するのは、こうした次第である。
なお、モンクはライルについて書いた節に「大元帥(The Generalissimo)」という題を与えている。
これはマイケル・ダメットがライルを「オックスフォード哲学の大元帥」と呼んだのに因んだもので、「総統」に対するモンクの素敵な意趣返しとなっている。
ここではモンクの記事からライルの暗黒面に関わる部分を紹介したが、モンクの主題はコリングウッドであり、この哲学者の思想を楽しい伝記的エピソードとともに案内している。
八歳のコリングウッドがカントの『道徳形而上学の基礎づけ』を読んだエピソードは、かなり印象的なものの一つだ。
関心のある方はぜひそちらもチェックしていただきたい。
(ついでに、情動表出と他者理解に関する『芸術の原理』の一節を紹介した当ブログの記事も。)