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スフレを穴だけ残して食べる方法

情動表出に関するコリングウッド『芸術の原理』の有名な一節

Collingwood, R. G. 1938. The Principles of Art. Oxford University Press.

哲学若手の発表で使う予定が、時間に余裕がなく、結局使わなかった一節。

せっかくなので訳出したものをここに載せておきます。

コリングウッドの情動表出の理論の要点が詰まった一節で、情動表出に関する文献でもそのまま引用されているのをわりと見かけます。

 

ある人が情動を表出していると言われるとき、彼について言われているのは以下のようなことだ。まず、彼は一つの情動をもっていることを意識しているが、その情動が何であるかは意識していない。彼が意識するすべては動揺や興奮であり、そうしたものが彼の中で進行していることを彼は感じるものの、その本性について無知である。この状態では、彼が己の情動について言えるのは、「私は感じている……私は自分が何を感じているかわからない」ということに尽きる。この無力で抑圧された状態から、彼は自己表出と呼ばれるものを行うことで自らを解放する。これはわれわれが言語と呼ぶものと関係のある活動である。彼は話すことによって自分自身を表出するのだ。それは意識とも関係がある。すなわち、表出された情動の本性について、彼はもはや無意識ではない。それはまた、彼が情動を感じる仕方とも関係がある。表出されずにいるとき、彼は無力で抑圧された仕方でそれを感じるが、表出されたとき、彼はこの抑圧の感覚が消え去った仕方でそれを感じる。彼の心はどうにか明るくなり、楽になる。(pp. 109-110)

 

ここでは、コリングウッドが情動の証拠ではなく、情動の調整や自己理解の手段として表出を捉えていたことがわかるかと思います。

また、スタンフォード哲学百科事典には「コリングウッドの美学」という項目があり、そこでゲイリー・ケンプはこの一節から以下の三点が浮かび上がると述べています。

  • 表出することは情動を意識することであり、これが計画と実行の区別不可能性の理由である。
  • 表出は記述のように情動を一般化するのではなく、個別化する。表出は発話〔=芸術作品〕の内在的特徴であるため、表出された情動を作品が形式を与える内容として捉えることはできない。
  • 表出はカタルシスのように情動のはけ口を提供するものではなく、明確さの達成であり、感じられているものは弱められるどころか強められることもある。

発表では、「言語」の役割について考察したり、サーリネンの議論との接続を試みたりしました。

最後に原文を載せておきます。

 

When a man is said to express emotion, what is being said about him comes to this. At first, he is conscious of having an emotion, but not conscious of what this emotion is. All he is conscious of is a perturbation or excitement, which he feels going on within him, but of whose nature he is ignorant. While in this state, all he can say about his emotion is: ‘I feel . . . I don’t know what I feel.’ From this helpless and oppressed condition he extricates himself by doing something which we call expressing himself. This is an activity which has something to do with the thing we call language: he expresses himself by speaking. It has also something to do with consciousness: the emotion expressed is an emotion of whose nature the person who feels it is no longer unconscious. It has also something to do with the way in which he feels the emotion. As unexpressed, he feels it in what we have called a helpless and oppressed way; as expressed, he feels it in a way from which this sense of oppression has vanished. His mind is somehow lightened and eased. (pp. 109-110)

 

『芸術の原理』には翻訳書も出ていて、訳出にあたってそちらも参照しました(なお、理解のつまずきになるような誤訳が一か所あることを確認しました)。

 

 

 

〈追記〉

ご指摘いただいたので、翻訳書の誤訳箇所を記します。

表現されないものとして、彼は情緒を、私たちが仕様のない、圧迫された仕方と呼んでいる仕方でそれを感じているのです。そして表現されたものとしてそれを私たちは抑圧のこの感じが消滅してしまったという具合に感じているのです。(p. 119)

原文ではこの箇所です。

As unexpressed, he feels it in what we have called a helpless and oppressed way; as expressed, he feels it in a way from which this sense of oppression has vanished. (p. 110)

「as」の用法を取り違えているものだと思われます。