『フィルカル』最新号、描写の哲学特集に寄稿した表題の論文のあとがきです。
描写の哲学における分離をめぐる議論を手がかりに、「視覚的修辞」と名づけた技法の存在、構造、意義を浮かび上がらせる内容となっています。
以前「描写の哲学研究会」で行った発表が元になっていて、その発表のスライド資料はこのブログでも掲載しました。
また、はじめの数ページはAmazonのプレビューで立ち読みできます。
内容が気になる方はぜひ覗いてみてください。
おおまかな内容はスライド資料や立ち読みで確認していただくとして、ここでは論文の背景と視覚的修辞に関わる奇妙な事例について書きます。
なお、すでに同じ特集に寄稿している銭さんがあとがきを記しているので、ぜひお読みください。
本論の背景
本論は主に二本の論文を背景としています。
-
カテリーナ・バンティナキ「様式的変形と画像経験」
読むとすぐわかることですが、本論はバンティナキの議論を下敷きにしており、実際、彼女の議論を発展させてこう書けないかというのが出発点でした。
一方で、書き進めて気づいたのは、バンティナキが議論している種の画像芸術の鑑賞の規範が、高田の議論において扱われる「フィクション特有の解釈規則」と驚くほどよく似ているということです。
実際のところ、二人の問題意識はともに様式的変形(デフォルメ)に関するものです。
- バンティナキ:描写対象に心的性質を与えるべく様式的変形を用いる。
- 高田:描写対象に美的性質を与えるべく様式的変形を用いる。
二人が取り組んでいた問題を位置づけ可能なより一般的な枠組み、つまり視覚的修辞の理論を構築した点に、本論の一つの理論的意義があるのではないかと思います。
とはいえ、視覚的修辞のポイントは様式的変形をともなわない事例を説明可能だという点にもあります(副題はこの点の小さな暗示です)。
じつは、ここで私はシノハラユウキが論じる「分離された虚構世界」の問題に接近していました。
シノハラは、本論の元となった発表のスライド資料を参照して、分離された虚構世界と視覚的修辞の関係を考察しています。
マンガ『イノサンRouge』を事例に二種類の現象の違いを詳細に検討してくれており、とても楽しいのでぜひお読みください。
そんなわけで、本論はあくまでも一般志向であり、特定の画像芸術実践に焦点を当てたものではないのですが、松永が特集の巻頭言で述べている、マンガ・アニメを扱う日本国内の描写の哲学研究の潮流と深い関わりにあります。
奇妙な事例
最後に、視覚的修辞かどうか判断が難しい奇妙な事例を三つ取り上げて、新しい議論のきっかけづくりをしようと思います。
コテ線
👍新 #アニポケ 速報👍
— アニメ「ポケットモンスター」公式 (@anipoke_PR) 2019年9月29日
新アニメ「ポケットモンスター」キャラ紹介#サトシ
ある出会いから、
ポケモンバトル最強を目指す10才の少年。
正義感が強くまっすぐな性格。
夢は、ポケモンマスターになること。#ピカチュウ
サトシと一緒に冒険をしている最高のパートナー。
得意わざは10まんボルト! pic.twitter.com/YV7IzDlf1C
アニメ『ポケットモンスター』の主人公サトシの頬には「コテ線」があります(これが単なる二次元上の線ではなく、三次元上のサトシの頬にあるものとして経験される点に注意してください)。
このコテ線のおかげで、私はサトシにわんぱくさを見て取ることができますが、問題はコテ線に対応する形象的性質が何なのかがよくわからないということです。
実際、コテ線がうまく機能しているかぎり、私はわんぱくさを意識しますが、その媒体となる形象的性質の本性(頬の立体感か、頬の赤みか、泥汚れか、古傷か、など)にはほとんど意識がいかないのです(このようにあえて問わないかぎり)。
サトシのケースはとりわけ目立つもので、髭に見えて気になるという声も確認できますが、そうした鑑賞者に対してコテ線はうまく機能していないということでしょう。
いずれにせよ、画像芸術の技法では、それがうまく機能している場合、高次性質がより注目され、その媒体となる形象的性質に注目がいかないことがあるようです。
サトシの頬のコテ線が視覚的修辞であるかはともかく、このような現象は視覚的修辞が不自然にならず、画像実践において採用される一つの余地なのかもしれません。
創作者に立場を変えてみましょう。
オリジナルキャラクターをはじめて描いたとき、仕上げにキャラクターの両頬に二点をちょんちょんと描き加えると、表情が格段に生き生きとしだしたことを覚えています。
これでドローイングは完成したと思いました。
ここで、私は高次性質〈生き生きとしている〉にのみ注目して、それを可能にしている頬の上の点が何なのかに注目しませんでした。
しかし、まさに当の高次性質が実現されたということが、私にその技法を採用させたのであり、そして技法の採用の理由はそれだけで十分でした。
こうした創作者の思い(きっと独自の技法として人体の伸長を採用したエル・グレコも同じ思いだったと想像するのですが)にも、高次性質を実現させる形象的性質の身分を問わない点で、視覚的修辞が画像実践に受け入れられる兆しが感じられます。
カラフルな髪色
こういう時こそアンケート機能を使うチャンスなのでは!? と思ったので使ってみます! 現代日本が舞台のアニメ等に出てくる、髪の毛がピンクや水色や黄緑色のキャラクターは、
— 川原礫;AW25巻9月発売 (@kunori) 2020年1月4日
『ソードアート・オンライン』の作者である川原礫が行ったアンケートですが、とても興味深い結果が出ています。
画像的フィクションでは、現代日本を舞台としつつも、現代日本にはあまり見かけないカラフルな髪色をもつように見えるキャラクターが多数登場する作品がしばしば見られます。
彼/彼女らは本当にそうした髪色をもつのでしょうか。
一つの解釈は、そうした髪色はキャラクターの性格や雰囲気、作品における役割などを表すための視覚的修辞だというもので、これは第三の選択肢の可能な解釈です。
とはいえ、この選択肢を選んだのは全体の四分の一ほどで、全体の半数以上の投票者は実際にそうした髪色をもつと解釈しています。
どうやら画像的フィクションの鑑賞者はキャラクターのカラフルな髪色について解釈が分かれるようで、ほかにも、視覚的修辞の一部事例には(もしかすると適格な鑑賞者のあいだにも)このような解釈の不一致があるかもしれません。
貞本義行の発明
これに類似した「目の謎の線」だが、エヴァンゲリオン等で見られる青い矢印の線について。これは貞本義行さんがナディア時代に開発した線らしく、本人に取材したところ「目のディテールをセルで細かく書くと潰れてしまうので、単純かつ短い一本線で何とか複雑な印象を与えたかった」とのこと。 pic.twitter.com/xAzpw0sJuX
— 赤松 健 (@KenAkamatsu) 2019年11月21日
マンガやアニメのキャラクターの目元に多く見られるある種の線は、貞本義行の発明に起源があり、貞本はまぶたの描写ではなく、「複雑な印象」のような美的効果のためにそれを考案したそうです。
貞本の発明はコテ線に関して創作者の観点から行った考察を裏づけるものです。
彼はもっぱら美的効果を目的として「目の謎の線」を採用したのです。
この事例のひねりは、鑑賞者の一部がそれをまぶたの描写だと解釈していること、また一部の創作者がまぶたの描写と見なしたうえでこの技法を自らの作品に採用したということです。
ここではさまざまな興味深い芸術哲学の問題が複雑な仕方で絡み合っているようです。