Nguyen, C. T. (2020). Echo Chambers and Epistemic Bubbles Episteme, 17(2), 141-161.
近年、ポストトゥルースの時代が到来したとか、社会の分断が進んでいるとか、SNSが分断を促進しているといったことがよく言われる。
そこで見かけるのが「エコーチェンバー(原義:反響室)」や「フィルターバブル」のような言葉だ。
今回取り上げるティ・グエンの論文「エコーチェンバーと認識論的バブル」はこうした現象/概念を哲学的に考察するものである。
これは社会認識論という分野に位置づけられる研究であり、私の専門ではないのだが、ポストトゥルースや陰謀論に対する見通しをとても良くしてくれるので、議論の一部を紹介したい。
(なお、グエンは美学と社会認識論の両方の分野で活躍する哲学者である。)
はじめに
近年、二つの異なるが相互に関連しあう社会認識論的現象が混同されている。
グエンが「認識論的バブル(泡)」と「エコーチェンバー」と呼ぶものだ。
どちらもメンバーを惑わせ、分断を深める社会構造だが、その起源、作動メカニズム、治療法は異なる。
以下で詳しく見ていくが、それぞれ簡単に説明するとこうなる。
認識論的バブルとは、他者の声が欠落によって除外された情報ネットワークである。
エコーチェンバーとは、他者の声が積極的に信頼されなくなった社会的構造である。
今日の議論の多くは両者の区別に無頓着で、前者に焦点を当てる傾向にあるとグエンは指摘する。
実際には両者の区別は重要であり、認識論的バブルが不健全な情報ネットワークである一方、エコーチェンバーは健全な情報ネットワークのなかにも存在できる。
そして、エコーチェンバーははるかに脅威的な現象であり、認識論的バブルでは説明のつかない、明白な証拠に対する激しい抵抗を説明できるという。
二つの現象のあり方を順次見ていこう。
1. 認識論的バブル
はじめに、知的で信頼できるが、その関心の大部分がオペラに向けられた人々だけからなる社会的ネットワークを考えよう。
私はそこでオペラの動向のすべてについて学ぶことができるが、ラップの動向や自国がファシズムに移行しつつある事実は完全に見逃してしまうかもしれない。
ここでは情報ネットワークとしてカバー範囲が狭いことが問題になっている。
認識論的バブルとは、欠落による除外のプロセスによって、不十分なカバー範囲をもつ情報ネットワークのことである。
欠落を促す主なはたらきは二つある。
第一に、同じ考えをもつ人から情報を得ようとする行為者の傾向が挙げられる。
これはときに「選択的暴露」と呼ばれる。
SNSでは、われわれは気に入った人を見つけ、フォローしていくかたちで社会的ネットワークを形成していく。
しかし、われわれは通常自分と似た人を気に入るため、そのカバー範囲は偏ったものになりやすい。
ここに認識論的バブルが生じうる一つの方法を見つけることができる。
われわれが社会的関係を築いたり、維持したりするために構築したネットワークは情報収集のためにも利用できてしまうが、そのとき機能不全に陥りやすいのだ。
第二に、行為者の情報環境は他の行為者によって改変されることがある。
これには国家等による組織的な検閲やメディアコントロールが含まれうる。
とはいえ、現在もっとも問題視されているのはネット上のフィルタリング技術だ。
たとえば、検索エンジンはユーザーの個人情報を追跡し、検索結果をユーザーの関心に応じて調整し、ユーザーが見たいであろう情報を優先的に表示する。
そして、厄介なのはその高い秘匿性であり、多くのユーザーはフィルタリングの存在を知らず、知っていたとしても、そのアルゴリズムまではわからない。
結果的に、ユーザーは検索結果が調整される度合いを過小評価してしまう。
このように、認識論的バブルには選択的暴露とフィルタリング技術などの複数の原因がありうる。
「フィルターバブル」はフィルタリング技術に起因するものを限定的に指す用語だが、認識論的バブルは原因を問わない点でより広い現象/概念である。
そして、認識論的バブルの問題はただ重要な情報が届かなくなることだけではない。
認識論的バブルに入りこみ、高い頻度で意見の一致に遭遇するようになることで、人は自分の信念に対して自信過剰に陥りがちになる。
たしかに同意を得ることは一般に自説に対する自信を高める良い理由になるが、つねにそうだというわけではない。
私がパレオダイエットは最高のダイエットだと考えており、同じ考えをもつ仲間だけを集めてグループを作ったとしよう。
このグループには、パレオダイエットは最高のダイエットだという考えについて完璧な合意が存在するが、これを理由にその考えに対する自信を高めるべきではない。
というのも、それは私の選択基準のエコーでしかないからだ。
ネットワークのメンバーを何らかの意見の一致を理由に選択するとき、そうした分だけ当の意見の一致は差し引いて考える必要がある。
しかし、われわれは時間の経過などを原因にこのことを忘れ、自信を高める材料にしてしまう。
2. エコーチェンバー
幸いにも、以下で見るように、認識論的バブルは比較的脆弱である。
一方、エコーチェンバーは抜け出すのがずっと困難な現象だ。
ジェイミソン&カペラは、ラッシュ・リンボーをはじめとする右派のカリスマ的人物を中心に築かれたエコーチェンバーを分析している。
そこで見えてくるのは、リンボーがさまざまな方法で積極的にフォロワーを外部の情報源から孤立させているということだ。
「主流メディア」を攻撃し、ジャーゴンを内輪に流通させる。
そして重要なことに、反対意見にはそれを表明した者の信頼性を損ねることを意図した対案を提供する。
結果的に、高度に対立的な勢力図ができあがる。
ひとたびリンボーの見解に賛同すると、賛同しない人は誰でも積極的に右派に反対しており、それゆえ道徳的に不健全で、一般に信頼に値しないと考える理由をもつに至る。
そして、これがフォロワーを特定の情報源に依存させ、外部の情報源に強く抵抗させるようにするとジェイミソン&カペラは示唆する。
このような分析に基づいて、グエンは「エコーチェンバー」を〈信頼の点でメンバーと非メンバーのあいだに大きな格差を生み出す認識論的共同体〉と定義する。
この格差は非メンバーの信頼を損傷させると同時にメンバーの信頼を増幅させることで生まれる。
そして、エコーチェンバーは何らかの中核的信念群への一般的な同意を会員資格としており、その中核的信念群には信頼の格差を支える信念が含まれている。
信頼の損傷と信頼の増幅が相互に強めあうことができる点に注意しよう。
エコーチェンバーの信頼された内部者が部外者は信頼できないと主張し続けるかぎり、内部の信頼は外部への不信を強化するだろう。
部外者が信頼されないかぎり、内部者はさまざまな形式の反証から遮断され、相対的な信頼を高めるだろう。
このような相互作用を通して、エコーチェンバーの信念体系を除去することはきわめて困難になる。
ここで改めて認識論的バブルと比較してみよう。
認識論的バブルは外部の情報源へのアクセスを制限することでメンバーを無知の状態にとどめるが、無知は外部の情報を与えることで改善できる。
一方、エコーチェンバーはメンバーが外部の情報源に不信感を抱くよう準備されているため、外部の情報を与えただけでは何の効果もない。
これが認識論的バブルよりも厄介な現象である理由の一つだ。
そしてさらに、エコーチェンバーはグエンが「意見対立強化メカニズム」と呼ぶものを利用することもできる。
はじめに、メンバーは〈対立的な信念の存在と表明が、元の信念を強化することになるような信念〉をもつよう仕向けられる。
簡単な例として、私がカルトのリーダーであり、信者にこう教えたとしよう。
われわれ以外の人類はすべて火星人の亡霊にマインドコントロールされている。
さらに、火星人の亡霊は真実を知るわれわれを憎んで、「カルト」と呼んだり、狂人と呼んだりして、その存在についての知識を損ねようとしてくる。
そして、部外者は火星人の亡霊なんていない、などと言ってくるだろう、と。
これ以降、信者が「火星人の亡霊なんていない」のような対立的な主張を耳にしても、すでに予測されたものであるため、その力は中和される。
これは一種の認識論的予防接種だといえる。
加えて、私が予測したことを聞くことで私の主張は検証されたことになるため、信者は私に対する信頼を高める理由をもつに至る。
こうして、対立的な主張を損ねる予測を行うことで、内部の権威者はその信用を落とすだけでなく、今後の予測の信頼性を高めることができる。
これが意見対立強化メカニズムだ。
グエンの定義では、エコーチェンバーは意見対立強化メカニズムを必ずしも含む必要がないが、現実のエコーチェンバーの候補はしばしばこれを含む。
ここではピザゲートについて考えてみよう。
これはある電子掲示板から生まれた陰謀論で、そこには「コメット・ピンポン」というピザ屋がリベラルの秘密結社が所有する児童売春組織の現場となっているという信念が含まれていた。
最終的に、掲示板の利用者エドガー・ウェルチが調査のため、ライフルを携えピザ屋に押し入った。
そこに児童奴隷がいないことを確認すると、彼は満足して警察に投降した。
しかし、掲示板はこれを反証とは見なさなかった。
その代わり、リベラルの秘密結社は主流メディアを完全に支配しており、右派の信用を落とすために進んで偽りの事件をでっち上げるのだという自らの信念にすがった。
そこから、児童売春組織は存在しなかったというウェルチの主張を、彼が工作員である証拠として、ひいてはリベラルの秘密結社という強力な存在のさらなる確証として受け止めたのである。
陰謀論はつねに間違っているわけではないし、つねに認識論的悪徳の産物だというわけでもないが、意見対立強化メカニズムの設定において効果的である。
そして、グエンはこれこそ陰謀論の悪評の一端を説明するものだと考えている。
ひとこと
以上が論文の紹介である。
なお、ここで扱ってきたのはすべて論文の前半に含まれる議論である。
後半では、ポストトゥルースをここで定義したエコーチェンバーを用いて説明したり、エコーチェンバーから抜け出す方法を考察したりしている。
気になる方はぜひ直接論文に当たっていただきたい。
また、この論文の前身となる一般向けのウェブ記事もあるので、そちらもぜひ。
(この記事を書くうえでも参考にした。)
グエンによる二つの概念の区別は本当に有用だと思う。
論文の後半で指摘されるように、エコーチェンバーとフィルターバブルに関する従来の議論は二つの現象をうまく区別できていないために問題を引き起こすことがある。
たとえば、リベラルと保守が同じサイトを訪れ、同程度の時間を費やしているデータを提示して、フィルターバブルやエコーチェンバーの存在を疑問視する声がある。
しかし、いまや明らかだが、このデータが反証として利用可能なのは認識論的バブルに対してであって、エコーチェンバーに対してではない。
エコーチェンバーはなおも根強く蔓延っているかもしれない。
上掲のウェブ記事において、グエンは一つの簡単なテストを提供している。
ある共同体の信念体系が、その中心教義に賛同しない部外者の信頼性を積極的に損ねるものであるかどうか確認してみよう。
イエスならば、それはおそらくエコーチェンバーである。