TYM344《東方の三博士》2015年 pic.twitter.com/rxLOAjTHlw
— TYM344 (@TYM344) 2015年7月19日
現代アーティストTYM344には上掲の『東方の三博士』という絵画作品がある。
今日はこの作品を分析してみたいと思う。
これは描写の哲学のケーススタディの試みであり、作品を一つの画像として捉え、その画像としての特徴を浮かび上がらせることで、理論構築に貢献することが目的だ。
とはいえ、これは作品の遊び心を明らかにしていく作業でもあるため、批評的営みでもあるかもしれない。
三つのしるし
この作品はまず、二次元上の形状として、黒地に三つの縦長のしるしが横に並んだものとしておおまかに記述できる。
目ざとい鑑賞者(または愛飲者)ならば、三つのしるしを見て、この作品がモンスターエナジーのロゴをモチーフにしているとわかるだろう。
しかし、この作品は単にモンスターエナジーのロゴを(白/黒の二色を用いて)描いたものではない。
ポイントは二つある。
第一に、この作品はオリジナルのロゴと比べると、三つのしるしの間隔が離れている。
そうすることで、この作品は三つのしるしを当のロゴとして(即座に)見ることをある程度難しくし、また他の何かを見る余地を作っている。
第二に、この作品には『東方の三博士』というタイトルがある。
東方の三博士は西洋絵画の定番モチーフだが、モンスターエナジーとはほとんど関係がないように思われる。
しかし、このタイトルを知ったうえで作品を見ると、その視覚経験は変化する。
三つのしるしは、三本の杖(知恵の象徴)のように見えてくるだろう。
このように、この作品はモンスターエナジーのロゴを描きつつ、二つの仕掛けを用いることで三本の杖という別のモチーフを描くダブルイメージとなっている。
二種類のダブルイメージ
Giuseppe Arcimboldo, Summer, 1573.
もちろん、ダブルイメージ自体はジュゼッペ・アルチンボルドの作品(人物としても、野菜や果物の寄せ集めとしても見ることのできる絵画) を典型例として、よく知られたものであり、そう珍しいわけではない。
ここから一歩進んで注目すべきは、ロゴとして見た際の視覚経験と、杖として見た際の視覚経験の大きな差だ。
モンスターエナジーのロゴは(商品名からするとモンスターが残したであろう)爪痕を象っている。
『東方の三博士』において、三つのしるしをこのロゴとして、ひいては爪痕として見るとき、その三次元的な形状は凹んだものとして経験される。
爪痕なのだから当然だ。
ところが、三つのしるしを三本の杖として見るとき、その三次元的な形状は逆にこちら側に張り出したものとして経験される。
つまり、二つのモチーフを入れ替わり見るとき、画像のうちに見える三次元的な形状は凹から凸へと反転するのである。
このような視覚経験の劇的な変化はアルチンボルドの作品には見られない。
アルチンボルドの作品では、人物として見ても、野菜や果物の寄せ集めとして見ても、三次元的な形状に変化が生じることはないということだ。
またダブルイメージにかぎらず、画像鑑賞では、同一の三次元的な形状に複数の意味の解釈が割り当て可能である。
Hiroshi Sugimoto, Diana, Princess of Wales, 1999.
たとえば、杉本博司の『ポートレート』シリーズは一見して人物写真だが、実際には蝋人形を撮影したものである(この事実はキャプション等を通じて知られる)。
鑑賞のポイントは、生き生きとした人物に見えていたものがじつは蝋人形だったという衝撃だが、ここでは同一の三次元的な形状に関する一つのもっともらしい解釈〈これは人物だ〉が誤りだと判明し、もう一つの解釈〈これは蝋人形だ〉に突如塗り替えられている。
一方、『東方の三博士』が遊び心をもって気づかせてくれるのは、同一の表面に複数の三次元的な形状の解釈が割り当て可能であること、そしてそうした複数の解釈がどれも適切でありうるということである。
一つの表面から複数の三次元的な形状へ、また一つの三次元的な形状から複数の意味へと、こうした解釈の余地の複層性は画像芸術の豊かさの一端をなす。
そして、アルチンボルドが〈意味のダブルイメージ〉だとすると、『東方の三博士』は〈形状のダブルイメージ〉だと言えるかもしれない。
(モンスターエナジーのロゴと杖とでは意味が異なるので、意味のダブルイメージでもあるかもしれないが、これは用語法の問題である。)
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