Laios, K., M. Moschos and G. Androutsos. (2017). “Human Anatomy in the Paintings of Dominicos Theotokopoulos”. Italian Journal of Anatomy and Embryology 122: 1–7.
El Greco, Saint Jerome as Scholar, ca. 1610.
今回はマニエリスムの画家エル・グレコの絵画に関する美術史の論文を紹介する。
エル・グレコの絵画はその細長く引き伸ばされた人体で知られているが、彼はなぜそのように描いたのだろうか。
この問題をめぐって、伝統的に二種類の説明が与えられてきた。
一つは芸術的選択と見なす美術史的説明であり、もう一つは病理的産物と見なす医学的説明である。
今回扱うコンスタンティノス・ライオスらの論文では、医学的説明が最初に与えられた1910年代から今日に至るまでの論争の経緯が記述されている。
ここでは個人的に気になった点をまとめておこう。
絵画作品の解釈のために医学的説明が持ち込まれた最初の事例は1872年、後期ターナーの作品に画家の乱視の影響を指摘するものだという。
エル・グレコに医学的説明が最初に適用されたのは1911年で、眼科医ゴールドスミスは引き伸ばされた人体が乱視の影響によるものと考え、その理由として、乱視矯正眼鏡で見ると正常なプロポーションに見えることを挙げた。
その後も今世紀に至るまで、さまざまな医学的説明が試みられてきたが、おおよそ以下のように分類できる。
なかでも乱視説の支持者は多いが、以下の二点をはじめ、問題点も多い。
- 異常な人体と正常な人体の両方が見られる作品がある。
- 人体の伸長は垂直方向だけでなく、手が横を向いている場合など、水平方向にも適用されることがある。
乱視を患っていても正常な人物像を描くことはできると考え、実験でその検証を試みた論者もいる。
El Greco, The Burial of the Count of Orgaz, 1586–1588.
医学的説明に大きな打撃を与えたのは『オルガス伯の埋葬』のX線検査だ。
検査の結果、人物像は一度正常なプロポーションで描かれ、その後引き延ばされたものであることが判明した。
ここから、画家は意図して人体を引き延ばしたのだと合理的に推理でき、美術史的説明を支持するものとなっている。
美術史的説明を少し詳しく見てみよう。
多くの場合、人体の伸長は聖人、天使、殉教者に見られるが、これは彼らの精神的次元に適合しており、画家の狙いはその天上的性格の強調だと考えられる。
また、ライオスらはエル・グレコの工房に非常に多くのアシスタントや弟子がいたことを指摘し、人体の伸長が乱視等の影響による負の産物でしかないとすると多くの異議が制作時に生じたはずだが、そうではないとしている。
そして、エル・グレコの個人様式はビザンティン芸術にルーツがあり、突然湧き出たというものではない。
(エル・グレコはクレタ島の出身であり、そこでビザンティン芸術を学んでいた。)
ビザンティン芸術では神により近い領域を達成すべく、写実性の犠牲をいとわず人体を様式化することが行われていたのだ。
論文の紹介は以上である。
私の専門は美学であり、美術史ではないが、美術史の知見はしばしば美学的に興味深い問題を浮かび上がらせる。
エル・グレコが奇形の人物を描いたわけでもなければ、乱視などの影響で人物を歪めて描いたわけでもなく、意図的に人体を引き延ばして描いたと判明するとき、われわれは作品をどのように鑑賞すべきだろうか。
また、われわれはその内容をどのように理解すべきだろうか。
これらの問いは「描写の哲学研究会」で「描写内容と画像内容の差:エル・グレコからアボガド6まで」と題する発表で扱う予定なので、関心のある方はぜひ。
ご参加の際は銭清弘さんの「描写の哲学ビギナーズガイド」をあらかじめ読んでおくとはかどるはずです(参加しなくても勉強になるのでおすすめ)。