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スフレを穴だけ残して食べる方法

TYM344作《対マレーヴィチ:音》について

2015年6月、新宿眼科画廊にてTYM344氏の個展「サブスタンス」が行われた。新作が所狭しと展示された華やかな展覧会であったが、ここではとりわけ一点の小品《対マレーヴィチ:音》について記したい。

マレーヴィチ作《黒の正方形》は作家が頻繁に引用するモチーフだが、この作品もそうした《対マレーヴィチ》シリーズのうちの一つである。これまでの作品には《黒の正方形》に見られるひび割れに注目した《対マレーヴィチ:ブラック・ブラック・ブラック》や、リキテンスタインを彷彿とさせる《対マレーヴィチ・ドット》などがあるが、《音》では無対象の絵画を描こうとしたマレーヴィチの「正方形」をBoseのスピーカーという対象に置き換えて描いている。これらは一貫してマレーヴィチシュプレマティスムに対するアイロニーを響かせるが、《音》は異なる点で格段にユニークである。

つまり、彼はスピーカーを描くことで、絵画に音を取り入れたのである。もちろん、音といってもそれはホイッスラーやカンディンスキーが連想させる音色ではない。「無音」という音現象であり、描かれたスピーカーがもたらす沈黙である。ジョン・ケージは聴衆にコンサートホールの内外で生じる雑音を聴かせ「無音の不可能性」を伝えたが、これはあらゆる音現象を司る音楽という芸術形式が達した結論である。一方、絵画において「無音」は可能であって、一般に絵画とは無音の芸術である。それは絵画が音楽とは異なる、物質に依拠した芸術形式であることに由来しており、なるほど絵画を鑑賞するとき雑音を耳にすることはあっても、絵画それ自体音を発するわけではない。《音》はそうした絵画の「サブスタンス」を示唆しているのだ。