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スフレを穴だけ残して食べる方法

「画像における情動表出」解題+あとがき

今年の一月に修士論文を提出したので、それについて書きます。

(どこで読めるかは下の方に書いてあります。)

 

主題はタイトルにあるとおり、「画像における情動表出」です。

画像は目に見える事物、富士山やアスパラガスなどを描写(depict)できるほか、目には見えない心的状態、とりわけ喜怒哀楽に代表される情動(emotion)を表出(express)できる(よりなじみ深い言葉遣いでは、感情を表現できる)と言われます。

たとえば、エドヴァルド・ムンクの『叫び』が不安を表出しているとか、しかめっ面の絵文字が怒りや不満を表出しているとか、灰色の風景画が悲しみを表出しているとか、キャラクターの頭上の光る豆電球がひらめきを表出しているとか。

拙論では、情動表出の観点から画像作品の異同を記述するための理論的枠組みの構築の作業を行いました。

以上に挙げた四つの例だけでも、なんだか共通点もあれば、相違点もあるということが感覚的に理解できるかと思いますが、それをどうにか明示化するための道具を開発する試みです。

分析美学において扱われてきた表出と描写という二つのトピックについて、その架橋を目指して企画したのですが、最終的には表出の方に重点を置いた内容となりました。

内容と特徴

以下では、分析美学における芸術表出研究の三つの特徴と比較することで、拙論の特徴を説明しつつ、内容をごく簡単に紹介します。

1. 音楽を問題にしがち

分析美学では、芸術表出の理論は盛んに議論されてきた問題ですが、そこでは音楽表出が主題であることが多く、画像表出を主題的に扱う文献は比較的近年に見られるようになりました。

音楽と比較すると、画像は描写という表象形式をもつ表象媒体である点が特徴で、表出の手段として描写を用いることができるため、音楽には見られない種の表出のあり方を見つけることができます。

拙論では、描写がいかに表出の手段として利用可能かを示しています。

2. 音楽の表出性を問題にしがち

美学者は表出的現象が一枚岩ではないことを認識しており、真正の表出と表出性の所有という区別を導入します(以下、おおまかな特徴づけ)。

  • 真正の表出(genuine expression):何者かの心的状態の外面化。
  • 表出性(expressiveness):心的用語を用いて言い表される性質。

この区別のポイントは、失恋の悲しみを悟られまいとする友人が陽気にふるまうとき、そのふるまいは陽気の真正の表出ではないが陽気の表出性をもつ、というような言い方を可能にしてくれることにあります。

また、曲線は感情的すぎるとピエト・モンドリアンが不満を言うとき、そこでも何者の心的状態とも独立に、曲線それ自体に表出性が帰属されていると言えるでしょう。

そして、芸術作品を真正の表出として理解するロマン主義者の見解を退けてきた歴史の影響か、分析美学において芸術表出として取り上げられる現象は多くの場合に表出性の所有です(真正の表出を主題的に取り上げる論者は少数派)。

拙論の一章では、表出的現象一般について理論化し、それから真正の表出として画像を理解しようとすると生じる三つの疑問に対処することで、単なる表出性の所有ではない画像表出のあり方に焦点を当てました。

また、真正の表出と表出性の所有に加えて、準表出という第三のカテゴリーを提案しています。

これは、真正の表出と表出性の区別が表出的現象に見られる経験の構造的違いを捉えることができていないことを補うことを目的としています。

3. 音楽の表出性を経験する際の鑑賞者の心のはたらきを問題にしがち

芸術表出に関して、美学者の多くが実質的に取り組んできたのは〈音楽作品が表出性をもつとはどういうことか〉という問いです。

源河亨『悲しい曲の何が悲しいのか 』はこの問いに挑む四つの主な見解(表出説、喚起説、類似説、ペルソナ説)を挙げています。

悲しい曲の何が悲しいのか:音楽美学と心の哲学

悲しい曲の何が悲しいのか:音楽美学と心の哲学

  • 作者:源河 亨
  • 発売日: 2019/10/12
  • メディア: 単行本
 

有力とされるのは類似説とペルソナ説ですが、これらは音楽鑑賞において表出性の経験を成立させるものを特定することでそれに答えようとします。

二つの説の対立点は、表出性を経験する際の鑑賞者の心のはたらきがどのようなものかにありますが、近年の議論では経験的研究の知見を参照することで、これを突き止めることを目指す試み(シミュレーションの行使の必要性、情動感染の影響、など)が盛んです。

一方、二つの説は音楽作品が表出性を獲得するためにもつべき特徴に関して意見が一致しており、表出的行動(しかめっ面やガッツポーズ、悲鳴など)との類似性がそうだと声を揃えます。

整理すると、〈表出性の経験を成立させるものは何か〉という問いは二つの問いに分割できます。

  1. 表出性の経験が生じるのは、作品がどんな特徴をもつ場合か。
  2. 表出性の経験が生じるのは、鑑賞者の心がどんな特徴をもつ場合か。

類似説とペルソナ説は第一の問いに関して合意があるので、もっぱら第二の問いに対処しようとします。

しかし、第一の問いは本当に十分な答えが与えられているでしょうか。

たとえば、木下頌子は『悲しい曲の何が悲しいのか』の書評において、表出的行動との類似性では捉えることができそうにない和音の表出性の存在を指摘しています。

木下は二つの問いの両方について、一元的に答えることは難しく、多元的に説明すべきだと示唆していますが、拙論の方針も同じです。

拙論の二章では、画像表出の事例の異同を捉えるには、その表出性の獲得メカニズムを捉えることが重要であることを主張し、第一の問い(画像はどのような特徴をもつことで表出性を獲得するのか)を探求しています。

第二の問いは第一の問いに答えるうえで必要なかぎりで対処するにとどめているのですが、それは、困難で扱いきれないからというだけでなく、第一の問いがそれ自体で興味深く、さらなる議論が必要だということを示すためです。

探求の結果、四つの基礎的なメカニズムがあることがわかります。

  1. 表出的行動の模倣
  2. 表出的行動(しるしづけ行為/性質付与行為)の痕跡の現れの所有
  3. 経験間の合同の利用
  4. 情動に影響された視覚経験の描写

これらは、〈情動Eの一側面を示すことでEの表出性を獲得する〉という点で一つの体系をなしています。

画像における表出性の獲得メカニズムはこの体系をもってしても説明し尽せないのですが、この体系に位置づけられるメカニズムはそうでないメカニズムにはない重要な意義をもつことが主張されます。

そして、三章では二章までの議論をフル活用しながら、いよいよ画像表出の事例の異同を記述するための理論的枠組みの構築に入ります。

これは四つのパラメータを用いることで事例の異同の記述を可能にする枠組みです。

  1. 表出の帰属先
  2. 表出されるもの
  3. 表出されるものの帰属先
  4. 表出性の獲得メカニズム

最後にこの枠組みを用いて『叫び』を記述して、拙論は締められます。

参考文献について

  • ミッチェル・グリーン『Self-Expression』
Self-Expression

Self-Expression

 

主要参考文献はなんといってもこれです。

アラン・トーミー『The Concept of Expression』以来となる、書籍単位での表出研究。

美学に関する議論は一つの章のみですが、表出的現象について理解するうえでたいへん役に立ちました。

さまざまな議論を扱っている濃密な本ですが、美学の視点からは表出性の理論が注目に値すると思います。

  • ジェニファー・ロビンソン『Deeper than Reason』
Deeper than Reason: Emotion and its Role in Literature, Music, and Art

Deeper than Reason: Emotion and its Role in Literature, Music, and Art

 

こちらは主要参考文献というほどでもないですが、深く印象に残っている一冊。

オリジナルの情動の理論と、その芸術哲学への応用が試みられています。

芸術作品をロマン主義的に捉えることの意義、また画像表出を理解するうえでの真正の表出という概念の重要性を学びました。

ロビンソンの文章は読みやすく、ほどよいエモが感じられるので好きです。

図版リスト

芸術に関心のある方は事例が気になると思うので、図版リストも載せておきます。

ロマン主義絵画と表現主義絵画が中心ですが、そうじゃないのもあります。

  1. エドヴァルド・ムンク『叫び』1893年.
  2. フランシスコ・デ・ゴヤ『我が子を食らうサトゥルヌス』1819-1823年.
  3. アルノルト・ベックリン『死の島』1880年.
  4. フィンセント・ファン・ゴッホ『カラスのいる麦畑』1890年.
  5. パブロ・ピカソ『泣く女』1937年.
  6. アンゼルム・キーファー『夜の秩序』1995年.
  7. ジャクソン・ポロック『無題(グリーン・シルバー)』1949年.
  8. ロイ・リキテンスタイン『リトル・ビッグ・ペインティング』1965年.
  9. エマヌエル・ロイツェ『デラウェア川を渡るワシントン』1851年.
  10. エドヴァルド・ムンク『太陽』1909年.
  11. レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』1495-1498年.
  12. pixiv ID: 53928『無題』2012年.
  13. リチャード・モス『セーフ・フロム・ハーム』2012年.
  14. ジャン=バティスト・シメオン・シャルダン『素描家』1738年.
  15. テオドール・ジェリコーメデューズ号の筏』1818-1819年.

雑感と展望

何らかの意味で感情を表現していると言えるような画像は本当にたくさんあるけれど、それらはどの点で似ていて、どの点で違うのか。

この個人的な関心が少しずつ満たされていくのが楽しかったです。

この論文に含まれる論点のいくつかは今後発展させていこうと思っていて、描写の哲学研究会の発表で扱った視覚的修辞のアイデアはそうして発展させたものの一つです。

これからやりたいものはこんな感じ。

  • 中国絵画における情動表出

真正の表出として芸術作品を理解しようとする文化はロマン主義だけではありません。

おそらく中国芸術/美学はその最たるものでしょう。

日本語文献を読んでみると、分析美学で見かけたような議論を目にするので、どうにか接続できるとおもしろいはずだと考えています。

  • 情動そのものとしての絵画

拙論では絵画を情動表出の観点から考察しましたが、情動そのものとして捉えることはできないかという大胆な試みです。

可能だとして、そう捉えることに意義はあるのか、といったことも考えます。

ある美術史家の言葉が着想源で、どこにたどり着くかまだわかりません。

論文の公開について

拙論は一橋大学附属図書館に行けば読めるのですが、ウェブ上では公開されていないので、任意の方法で連絡していただければデータをお渡しします。

TwitterのDMでもメールでも口頭でも、何でも大丈夫です。

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メールアドレス:aizilo1225@gmail.com