先日の発表のスライドになります。
以下ちょっとした解説です。
情動表出と情動喚起
当日は情動喚起について一切触れなかったが、それが災いしてか、情動表出と情動喚起を混同している意見が聞かれた。しかし、この二つはまったく異なる現象だ。
- 情動喚起:観察者の心に情動が引き起こされること。
Francisco de Goya, Saturno devorando a un hijo, 1819-1823.
ゴヤの『我が子を食らうサトゥルヌス』は狂乱しているものとして現れ、また観察者に戦慄を覚えさせるかもしれない。
この作品でいえば、私が情動表出として問題にしているのは〈画像が狂乱しているものとして現れること〉の方であって、〈画像が観察者に戦慄を覚えさせること〉の方ではない。
また、情動表出が必ずしも情動喚起をともなうわけではないことに注意しよう。
しかめっ面の絵文字が怒っているものとして現れるからといって、観察者の心に怒りや他の情動が引き起こされる必要はない。
薄い輪郭説
作品ではなく主観的経験に根ざしている点でロペスの輪郭説とは異なる。
その結果、〈あなたはその作品が怒りを表出していると言うけれど、その作品は実際には怒りを表出していない〉といったケースを扱うことができないという欠点がある。
ただ、そこは理想的鑑賞者とか作者の意図とか導入すればどうにかなると考えている(あまりちゃんと考えていない)。
要するに、今回の発表は基本的に〈画像やその構成要素が何らかの情動をともなったものとして現れる〉という主観的経験を問題にしている。
四つのメカニズム
発表では他のメカニズムに還元されないという意味で基本的なものを四つ挙げた。
基本的なメカニズムはほかにもあるかもしれないし、いくつかの基本的なメカニズムが組み合わさることで成立している画像表出もあるかもしれない*1。
経験の様相横断的合同(合同説)
様相横断的な評価次元空間とは何か。
これはどの感覚様相の経験にも共通のいくつかの評価次元からなる空間のことだ。
グリーンは経験的研究を参照し、以下の三つの評価次元を挙げている。
快/不快
強烈/穏やか
動的/静的
この三つの評価次元はどの感覚様相にも共通すると仮定しよう。これらの評価次元からなる三次元空間にはさまざまな経験を位置づけることができる。
そして、二つの経験がこの空間の同じ座標(x, y, z)に位置づけられるとき、それらは合同しているとされる。
『死の島』が憂鬱なものとして現れるとき、それは(部分的には)この作品を見る経験と憂鬱の経験との合同に起因するかもしれない。
そして、画像以外の人工物(音楽など)による情動表出や擬態語、隠喩、ブーバ/キキ効果なども様相横断的な評価次元空間を導入することでよりよく理解できそうだ。
なお、文脈を利用すれば、情動Eの経験の様相横断的な側面の(すべてではなく)一部を示すだけでもEを表出できるのではないかというのが私の考えだ*2。
怒っている人物の背後に炎を描くとか、衝撃を受ける人物の背後に稲妻を描くといった表現など、この種の説明が適用できそうな画像表出はいろいろあるので、探してみるとおもしろいかもしれない。
合同と情動喚起
この記事を書いていて気づいたことだが、合同のアイデアから、情動表出と情動喚起が混同されるいくつかのケースは以下のように説明できるかもしれない。
合同を利用する表出では、観察者は表出されたもの、たとえば悲しみの経験の様相横断的な側面を(視覚を通じて)感じている。
これは観察者の心に悲しみが生じ、観察者が実際に悲しみを感じることと多少なりとも似ているために、情動表出と情動喚起が混同されやすいのだ、と。
いくつかの事例について
スライドでは私がどんなつもりでそれを挙げたかがわかりづらい事例があるので、簡単に記述しておく。
これもやはり主観的経験の記述であって、正しい作品解釈として提示しているわけではない。
- 藤田嗣治『二人の少女』1918.
描かれた二人の少女だけでなく、描かれた空間全体が倦怠感を表出している。
- フィンセント・ファン・ゴッホ『カラスのいる麦畑』1890.
人物が描かれていないにもかかわらず、胸騒ぎを表出している。さらに、その表出された胸騒ぎは作者であるファン・ゴッホのものだと言われることがある。
- オースティン・リー『ミスター・オースティン』2017.
描かれた人物を構成する線が能天気な描画の痕跡として現れるために、能天気さを表出している。
- ロイ・リキテンスタイン『リトル・ビッグ・ペインティング』1965.
描かれた筆致が大胆な描画の痕跡として現れるために、大胆さを表出している。
また、この作品自体は機械的な描画の痕跡であり、それ自体では何も表出しないか、無感情を表出するかのどちらかである。
ただし、この作品は初期ポップ・アートの文脈に置かれることで、当時主流を占めていた荒々しい筆致を見せる作風へのカウンターとして解釈でき、その場合には皮肉や反骨精神を表出している。
- エドヴァルド・ムンク『太陽』1909.
それが表出している情動が喜びか、希望か、他の何らかの情動かがはっきりしない。
〈レンブラントの肖像画〉というカテゴリーのもとで鑑賞することを考える。
〈レンブラントの肖像画〉というカテゴリーの標準的特徴には背景が暗いことが含まれる。いま鑑賞している肖像画の数々は背景が黒いが、そのためにどれも憂鬱に見えるというわけではない*3。
- pixiv ID: 53928『無題』2012.*4
この作品は左側に描かれた少年の視点から見られた世界を描いたものだと解釈できる。
世界は単調であり、色彩をもたず、生気が感じられない。これは少年の厭世的な気分を反映している。
ただし、右側の子供は例外的に色鮮やかに描かれている。この子供は少年にとって厭世的な気分を晴らす存在となっているかもしれない。
雑感
画像表出について、
- 四つのメカニズムを明らかにすることでその多様性を示しつつ、
- 四つのパラメータからなる統一的な枠組みを提案する、
そんな発表でした。
画像表出は人々が関心を少なからず寄せる興味深い現象だと信じているが、理論的関心はあまりもたれていないかもしれない。
この発表を通して、画像表出の論じどころを見つけてもらえれば幸いである。
ところで、画像表出について研究していて実感したのは、偏った事例を念頭に置いてはいけないということだ。
画像表出というと、ロマン主義や表現主義の絵画作品を念頭に置いてしまいがちだが、それでは画像表出の多様性を見逃してしまう。
たとえば、マンガでは登場人物の心的状態を表出するための斬新な手法が数多く開発されており、そこから得られる気づきは多い。
今後もさまざまな画像に触れてさまざまな気づきを得ていきたい。
〈追記〉
松永伸司さんからこうすればより整理できるのではとアドバイスをいただきました。
非常に参考になります。
4つのパラメータにとくに異論ないけど、もうちょっと整理できたのではと思う。たとえば、1. 表出するもの(何によって表出がなされるか)、2. 表出内容(どんな情動か)、3. 表出するものと表出内容の関係のあり方、4. 表出内容の帰属先(誰/何の情動か)といった具合に https://t.co/Szvn6xxPg1
— matsunaga (@zmzizm) 2018年12月15日
それでこの発表の中心は3(メカニズム)の分類にあるのだと思うが、1もメカニズムの関係項の片方としてメカニズムの分類軸に組み込んだほうがいいのではと思う(2と4はたぶんメカニズムとは完全独立なのでこの扱いでいいけど)
— matsunaga (@zmzizm) 2018年12月15日
たとえばメカニズムの分類軸として、a. 表出するものの種類(デザインか内容か、またそれらの全体か一部か)、b. aの直接の関係項の種類(表出的ふるまいか情動自体か、言い換えるとaと情動の関係が間接的か直接的か)、c. 関係の種類(類似/隣接/規約/etc.)みたいに整理すればきれいでは
— matsunaga (@zmzizm) 2018年12月15日
分類で面白かったのは「表出的ふるまいの痕跡の現れ」だけど、これはaはデザイン(内容のこともあるかもしれない)、bは表出的ふるまい、cは隣接(パースのインデックス的な記号の働き)、みたいなかんじで記述できる
— matsunaga (@zmzizm) 2018年12月15日